ST2015 - Bad Boll: TORII Shimpei

Studientagung in Bad Boll
Evangelische Akademie Bad Boll, 25.- 27. September 2015
 

Von den Burakumin und ihrer Arbeit in Japan

3 Texte in Japanisch:
1.  Kirche und Diskriminierung der Buraku - Das Bemühen um Befreiung
2.  Über die Erziehung zur Befreiung der Buraku
3.  Ein Artikel für die 14tägig erscheinende Hauszeitschrift des Kyodan (Vereinigte Kirche Christi in Japan)

TORII Shimpei's erster Vortrag
Bad Boll, September 2015

Kirche und Diskriminierung der Buraku - Das Bemühen um Befreiung

鳥井新平 最初の話 「教会と部落差別ー解放へのとりくみ」10分

日本の教会が部落差別の問題に組織的に取り組み始めたのは30年以上前のことです。それは、キリスト教の教会だけではなく、仏教界も同じだと思います。
イエスや仏陀の素晴らしい教えがあるにかかわらず、教会やお寺の中で差別があるということを運動団体や行政から指摘されたことが、大きな動きのはじまりです。

日本基督教団部落解放センターでは、この30年間の歩みの中から一冊の本を出版することができました。エムスのみなさんの献金による部落解放説教集「人間に光あれ」です。ここであらためてお礼を申し上げます。

イエスの福音がアクセサリー的な信仰や自己満足の言葉におわらないように、部落差別の現実の中から、解放に向けての闘いとともに紡ぎ出された言葉を記録することができました。

部落差別を中心テーマにおいて日本にある被差別少数者ーアイヌ、沖縄、在日朝鮮人、障がい者、性的マイノリティーーとの協働の記録でもあります。

その中で私は、4つのことが大切にされてきたと思います。
1)牧師と信徒の協同
2)差別されている人たちはかわいそうだから助けましょう、といった上からの発想ではない、関係性のゆがみの修正
3)深く歴史と現実に学びながらの国際的連帯
4)聖書をどう読むか、キリスト教教会のあり方に対する批判的検証
以上4つです。

日本の部落解放運動の中で特筆すべきことに
水平社宣言
荊冠旗
があります。
1000以上続く部落差別の中で、約90年前に部落の民衆は解放を求めて、立ち上がりました。その際に水平社宣言と荊冠旗が大きな役割を果たしました。運動の先駆者はクリスチャンではありませんでしたが、その宣言文の言葉と運動のシンボルに聖書とイエスのいばらの冠を選んだのでした。

このことにふれる時に日本の国内にあって少数であるキリスト者の中で、さらに少数である部落解放にたちあがる者は心が燃えるのです。

心は燃え上がるのに、献金や集まる人の数は燃え上がらないのが悩みの種ではあります。しかし、最大の悩みの種は、日本の国家自体が人権を無視した戦争や原発を
推進する政府にリードされていることです。

だから、国を超えてインドがドイツが日本が差別に反対して連帯する声をあげること、つながりをつくることが今、とても大切なことなのだと思います。

このカンファレンスにお招きいただいたことを心から感謝申し上げます。




TORII Shimpei's zweiter Vortrag
Bad Boll, September 2015

 

Über die Erziehung zur Befreiung der Buraku

「部落解放に向かう教育について」 10分 とりいしん平

冒頭で♫ 竹田の子守唄をアカペラで歌う

守りもいやがる 盆から先にゃ 雪もちらつくし 子もなくし

はよも行きたや この在所こえて むこうに見えるは 親のうち


差別のない社会、差別をしない人間、差別に負けない人間をつくる上で、つまり人が幸せに生きていく上で、教育の責任は重大です。

ここに一つの映画の予告編があります。3分ほどのものですのでご覧ください。

YouTubeに接続して、性的な画像のコマーシャルが流れて 会場 笑。

無事に「ある精肉店のはなし」予告編 鑑賞

この映画のアプローチの仕方は、私に大きなヒントを与えてくれます。
・人間の仕事の美しさ
・命のもつ意味
・家族とのつながり

そしてその背後にある部落差別の重さとそれに負けずに闘いつづける強さと優しさです。

差別をグループ間の闘いや政治的イデオロギー対立としてとらえたり、タブー視するのではなく、人と人の出会いとつながりの中で、子どもの生活と興味の中で、もう一度とらえ直して行くことが必要だと考えています。
その創造的な営みとして、反差別の教育は自ずときわめて、哲学的で神学的でアートであると同時に祈りであると思います。

私が30年間、小学校の教師として感じ続けていることは学校教育のもつ限界性とこれから切り拓いていくべき可能性です。

その際に国際的連帯は力を発揮すると思います。
なぜなら、部落解放の教育はインドにおけるダリッドとドイツ国内でのシンチロマの教育における問題と共通点を持ちながらも、それぞれの取り組みの違いが互いにヒントになると思うからです。

今、日本の子どもたちの死因の中で、最も多いのは自死です。

生まれた時から経済優先で、競争社会で、自尊感情も他者と共生する力も育たない環境の中でいろいろな苦しみを背負っているからです。
そしてそれは、大人社会の反映です。

教育における部落解放のための教育は単に部落のための教育ではなく、全ての人のための教育につながるのです。

そういう教育を創りはじめる時に、国際的な連帯と祈りが大きな力になります。

なぜなら、国家の力は限界があり、時に方向をあやまることがあり、神様の力は無限であり、ヴァラエティ・多様性に満ちているからです。

会場からの質問に応えて

部落民と一般地区の人間の共通点は何だと思いますか?
共通点は「人間」です。
そして人間には喜びや悲しみ、怒りや願い・祈りがあります。
そこに一人一人がみんな大事だという教育の働きが必要です。
教育には知識・情感・経験といった領域にかかわる活動ですが、その中でもわたしは、反差別の観点でまず人間に共通する情感に訴え、そこに知識がついていくスタイルのアプローチ・・・つまり映画や演劇・音楽といったことがもっともっと見直されてくるべきだと考えています。
映画や演劇を通して、人々は出会うことができます。その出会いは人間を解放と和解に導き、リアルな出会いを導くものであることを経験しています。

私の教会ー近江平安教会の信徒にきむきがんさんという役者がいます。彼女は在日朝鮮人であり、日本の部落差別をテーマにした芝居をしています。芝居の題名は「人の値打ち」です。お互いの人の値打ちが輝くために、本来すべての人の値打ちが等しく尊いという思いをどの子ももてるように、教育の可能性をさらに探って行こうと思います。


 

Ein Artikel für die 14tägig erscheinende Hauszeitschrift des Kyodan

von TORII Shimpei
03.10.2015

TORII Shimpei, von Beruf Lehrer aus Kyoto, nahm zusammen mit Pfr. MIZUNO Matsuo aus Tokyo an der Studientagung der DOAM in Bad Boll (25.-27.09.2015) als Delegierter des Buraku Liberation Centers in Osaka teil. Er hat ein Zwiegespräch zwischen den beiden zu Papier gebracht, das in der Hauszeitschrift des Kyodan erscheint.

教団新報 原稿差し替え
鳥井新平 [shimpeitorii@icloud.com]
Sa 03.10.2015 23:28
kyoushin@ucc.org
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教団新報様

先にお送りしました原稿を以下のものと差し替えてください。
同行された水野さんに校正をいただきまして、名前の表記や誤解が出ると思われる箇所を改めました。なお私のこのiPadでカタカナの小文字が出ません。
スインテイ・ロマという箇所の「イ」の二つは小さい「イ」でお願いします。

ドイツ訪問報告記事 12字×70行 〆切 10月14日

メールアドレス: kyoushin@uccj.org


タイトル:ドイツ訪問報告記事

鳥井新平(日本基督教団部落解放センター活動委員長)

私と水野松男さんは地下室の一室に座って話し込んでいた。
そこはドイツのウルム郊外、ホフマン・リヒターさんの牧師館の一室だった。簡易なベッドが二つ並んでいて、少し肌寒いが上着で工夫すれば、なんとかしのげる室温。先程、上の階でホフマン・リヒターさんに渡された大きな炭酸水で喉の渇きを癒しながら、気安い格好でそれぞれの思いを語り合っていた。
二泊三日で行われた国際会議の静かな興奮が二人の間を支配していて、お互い初めてのドイツ訪問に関わらず、至極満足の態で静かにそれぞれの思いを出し合っていた。会議はEMS(南西ドイツ福音宣教委員会)の主催するものであり、インドのダリット、ドイツのスインテイ・ロマ、日本の部落がそれぞれに国際的連帯を強めて行こうと企画されたものだった。

ー水野さんが、日本の部落について現代の就職差別や地名総監のこと、糾弾のこと、狭山事件と石川一雄さんのことお話くださって、ホンマによかったわ。過不足のない言葉で淡々と語られているのに、なんか泣けてきた。
ーいやあ、ゴマすり?
ーいやいや。本心。是非あの原稿そのままください。
ー鳥井さんも、歌とギターの演奏が素晴らしかったですよ。突然、スインテイ・ロマのジャズバンドにまざって、兄弟のようでした。
ーはい。音楽は国を超えてすぐに友達になれますね。あのスインテイ・ロマのリズム感すごかったですね。
ー被差別としての共通点はありながらも、歴史的経緯や状況が違うのでなかなか本当に理解し合うのは難しいですね。
ーなにが、決定的にちがいますか?
ーインドで言えば、大土地所有。この大元が変わらないとなかなか難しいものがあります。
ーなるほど。その意味では、行政闘争や法的対応など、水平社宣言一つとってみても日本の部落解放運動は先進的といえますね。
ーでも、この意味のある協議会もよかったよかった、と単発で終わったらだめですよね。
ー若い世代につなげて、仕組み・システムを創っていかないと。そのプロセスで人も育つし、今必要な力がついてくるということでしょうか?
ーそれにしても、ホフマン・リヒターさんの頑張りには目をみはるものがありますね。日本で部落解放運動の手法を学んで、ドイツに帰国した後に、スインテイ・ロマの差別に対する取り組みを誠実にはじめて、今日あるのですから。
ーそうですね。そして韓国の民主化に大きく貢献したポール・シュナイスさんもご健在でアジア地域の人権と平和の問題に深い関心とたゆまぬご奉仕を続けてくださっている姿が忘れられませんね。
ー世界宣教したドイツの底力ですよね。

夜はふけていき、私たちの対話は留まることをしらず、夢は是非 今度は日本で部落とダリッドとスインテイ・ロマの国際連帯の会をたちあげたいと思わされているのであった。









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