Köln/Bonn: 2007

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2007 30 Jahre Jap. Evang. Gemeinde Köln-Bonn

2005 Europäisches Treffen in Eringersfeld/ Westfalen.

2007 Bazar zugunsten von Brot für die Welt. hier

 

Ansprache zur Einführung in japanischer Übersetzung am 21. Oktober 2007 von Kirchenrätin Christine Busch, Düsseldorf als pdf-Datei

Ansprache zur Einführung in japanischer Übersetzung am 21. Oktober 2007 von Kirchenrätin Christine Busch, Düsseldorf

親愛なる会衆の皆さん

敬愛する林原先生

今日、ドイツのプロテスタント各州教会のHPには、「過渡期にある教会」という見出しが良く出てきます。それは、各個教会や教会連合の中で、また教会が運営する様々な施設や事業に於いて深刻な変化が生じているからです。今後年で教会員数の三分の一、また教会財政のの減少・縮小が予想されています。これは「量」的に大変な減少であるというだけではなく、一体どれだけ教会の活動の「質」に影響を及ぼすのか、と我々一人一人が真剣に自分に問いかけざるを得ないほどの規模の変化です。

これだけの規模の衰退は、一つの教会に如何なる影響を与えるのだろうか無償奉仕が更にどれだけ必要となり、かつ可能であろうか有給の専任者はどれだけ必要なのだろうか

これらの問いは、この小さなケルン・ボン日本語キリスト教会が30年前から、即ちその設立の時から抱え続けている問題です。自分達の牧師を持ちたい、というのがケルン・ボン教会の下した決断です。説教者であり牧会者として、そして神学上の教師であり霊的な同伴者として、自分達とともに、そして自分達と共通の言語で、十字架で死なれ、復活されたイエス キリストを証しする、そのような自分達の牧師を持ちたい、と決断したのです。洗礼を受けた者は全て伝道者としての意識を持つ信徒の群れ日本語を話しプロテスタントの信仰に立つ、という共通項によって結ばれ、ドイツの文化の中に、またケルン近郊の複合文化の中にエネルギーを放射する、そのような教会としてケルン・ボン教会は立たされているのです。

最初の聖霊降臨の出来事以来、教会には、神との出会いを様々に異なる形で経験した非常に様々な人達が集っています。そのような人達一人一人が聖霊に満たされ、賜物を与えられ、満ち足りた人生への彼らの望みが受け入れられるのです。これこそが、私達の使徒信条第三項目に掲げられている、「聖徒の交わり」なのです。牧師はこのことを求められています。牧師は、必要なあらゆる手段を講じてその実現に努めなければなりません。それは、教会が与えられた役目を果たすことができるための前提条件なのです。

マルチン ルターは、「お互いのために」キリストのように仕えるものとなるべきである、という表現をよく用いています。 というのは、私達は皆それぞれに、聖霊を通して特別な賜物を与えられており、神の御業を、その賜物を用いて、言葉と行いによって、個人生活に於いても職業生活に於いても証しする者の群れだからです。

バルメンの神学的宣言年に、告白教会がナチスに対抗して進むべき道を決定付けた宣言は、このことを第六テーゼで次のように取り挙げています。「「神の自由な恵みの使信をすべての人に伝える、ということが教会への神の委託であり、その委託は、説教とサクラメントを通して、キリスト御自身の御言葉と御業に奉仕する中で実践されるのである。そして、将にその委託の中にこそ、教会の自由の基礎があるのである。」

そして、本日は多くの教会で、コロサイの信徒への手紙が説教テーマとなっています。

「人間の言い伝えに過ぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、あなたがたは、キリストにおいて、満たされているのです。キリストはすべての支配や権威の頭です。」(新共同訳)

親愛なる林原先生、貴方の任務と委託は、不安で心騒がせる現代社会に於いて、しかも常に新しいイデオロギーの挑戦に晒されている中で、恵みの使信をいつも新たに解釈し伝えることにあります。その際、神の聖霊が貴方を導き、神の言葉と神の義のために、人々の心を開いて下さるでしょう。このような素晴らしい任務に、本日貴方に就いて頂く訳です。では、共に祈りましょう。

来たれ、聖霊よそしてあなたの恵みで私達の心と感覚を満たして下さい アーメン

Pfarrerin Christine Busch ist Kirchenrätin der Evang. Kirche im Rheinland, Düsseldorf.

 

Pfarrer HAYASHIBARA Yasuki

「教会と伝道」

創立記念・就任式礼拝  

マタイ―

本日は、お近くより、またご遠方より、多くの方々にお集まりいただき、主にあって感謝致します。

私たちの日本語教会は、1977年11月13日にボン大学神学部学生寮の一室で行われた「ボン聖書集会」からスタートしました。最初は6名のメンバーによる集いでありました。その後1979年5月に「ボン日本人キリスト教会」に改名し、さらに「ケルン・ボン日本人キリスト教会」となり、現在「ケルン・ボン日本語キリスト教会」という名称となっています。礼拝場所も、ボンからケルンに移り、最初は自由福音教会をお借りしていましたが、1990年3月から、ここボンヘッファー教会に受け入れていただくようになり、現在に至っています。1980年1月に、日本基督教団と当時のEKUとの間に結ばれた「宣教協約」による初の派遣宣教師が着任してから、27年になります。創立以来、応援の先生を含めると名の牧師がこの教会の牧会に携わってきました。

この間、当教会には多くの方々が訪ねてくださり、喜びや悲しみを共有しつつ、共に教会生活をして参りました。外国にある教会の宿命でしょうか、数年間の滞在で母国に帰国される方々も少なくありませんでした。しかしながら、この地でイエス・キリストに出会い、日本で洗礼を受けるに至った方々も多くあり、ドイツで蒔かれた種が日本で実を結ぶという喜ばしい経験をしてきています。現在、日本には私たちの教会を力強く支援してくださる「ケルン・ボン教会を支える会」が設立され、その趣旨に賛同し、祈り支えてくださる会員の数が、家族を数えるほどになっております。また更には、その方々をも含めて日本のみならず全世界の350名の方々や教会と繋がりを持ち、月報を送らせて頂いています。

このように、私どもの教会が多くの方々と共に喜びと慰めを分かち合いつつ30年間歩んで来れました事は、ラインラント州教会のご支援によるところが大であった事は申すまでもありません。ドイツ教会の深い理解と主にある友情によって、これまでの私たちの歩みが守られてきました事に、感謝を致します。私も、これから教会員と共に、喜んで今後の宣教の課題を担っていこうと思います。

さて、マタイ―についてですが、ここには次の二つの話が書かれています。一つは、畑に隠されていた宝を見つけた人は、持ち物をすっかり売り払ってその畑を買う、という話で、もう一つは、商人が高価な真珠を一つ見つけると、出かけていって持ち物をすっかり売り払い、それを買う、という話であります。これらは共にイエス様が話された、天国の譬えです。宝とは、天国のことを指しています。天国を見出だす者は、畑に隠されていた宝や高価な真珠を発見するのと同じであり、それを見つけたなら、全財産を全て売り払ってでも手に入れたいと思うようなものなのである、という話であります。

私はこの箇所の「天国」という言葉を、「神」という言葉に置き換えて読むことも差し支えないのではないかと思っています。天国を見つける人とは、神を見出す人のことだからです。神を知り神と実存的に出会う者は、他の何によっても換えがたい高価な宝を得る者のようにされるのであります。

私は、高校生の頃に背伸びをして大人の真似をし、やりたい事をやりつくし、とうとうやりたいことが何もなくなり、虚無的な思いに陥ってしまいました。世の中の全ての物事に対して無関心、無感動状態に陥り、人生が空しくて仕方がなくなったのでした。そんな時に友達の誘いで教会に行きはじめ、18歳のときに、初めて神様がおられることを知りました。その時、私は、本当に驚き、そして喜びに満たされ、まさに今日の聖書箇所に書かれている「宝」、また「高価な真珠」を発見した人と同じ状態になりました。私の人生はそこで変わりました。心の中の空しさが消え去り、いつも主とともなることによる平安がやってきました。以来私は、この神様という「宝」の存在を、まだ知らない人たちに伝えたいという思いで、今日まで伝道者としての歩みをしてまいりました。

神様の存在を信じなくても、それでもって神様が消えてしまうことはなく、神様がおられること自体は全く変わらないことであります。しかしながら、神様を知らない人、その存在を信じていない人にとっては、神様は、あっても無きが如くなっております。その人にとっては神様はおられないのと同然になっていますので、従って、神様の愛やみ支え、み助け、み恵みなど知るよしもなく、日々を過ごしているのです。また信仰義認や永遠の命の恵みにも、そのような恵みがあることを知らないが故に、与ることが出来ないでいるのであります。残念なことです。故に、全ての人に、神様のご存在と、み恵みを知っていただきたいのです。それが私の伝道の動機です。またそこに、我々のように既に神を知る者とされた人間が伝道すべき理由があるのであります。パウロは、伝道は神の業であるが、同時にそれは人を通して行われるということを述べ、「宣べ伝える人が無ければ誰が聞けるであろうか」と言っております。故に我々は伝道という神の業に参与する必要があるのです。

伝道には時間がかかります。牡蠣を育てるような、またよい真珠を作るようなものであります。しっかりした信仰者が育っていくためには時間がかかるのですから、じっくりたっぷりという心構えでやっていきたいと思っています。その一方で、いま、現実に、直ちに福音を必要としている人たちもおります。それは時間をかける伝道とは別で、急を要するものであります。とくに現代的な社会状況にあっては、そのような、急を要する伝道のニーズが、高まっているとも言えましょう。み救い無くば、今にも倒れそうな方々が、ここかしこにおられます。故に、時にスピーディーに敏速に手を打たねばならない伝道もある、ということをも認識して、伝道活動をしていきたいと思います。勿論、主のみ力と御導きなくば、何も出来ませんので、主が先立って導いてくださることを信じ祈りつつ、です。

私は、日本では、16年ほど前から、常に身近なところにドイツ人の宣教師の先生や奉仕団の方がおられる環境にいました。それらの先生方は日本の宣教のために大変良いお働きをしておられ、その方々を通して福音に触れた日本人が多数おります。私はその方々に教会としても、また個人的にも、大変お世話になったので、そのお返しをしたいという気持ちも込めて、これから力いっぱいこの地で宣教活動をしていきたいと思います。 ケルン、ボン、デュッセルドルフ、その他のラインラント州教会管轄地域には、沢山の日本語を語る方々が住んでおりますが、多くの方は神様との実存的な出会いを得ておられないと思います。その方々に是非神様のことを伝え、またキリストの福音に触れていただけるように、活動していきたいと思います。御加祷下さい。また教会員の皆様、共に伝道してまいりましょう。

Japanische Gemeinden

Japanische evangelische Gemeinden in Deutschland

Japanische Evangelische Gemeinde Köln/Bonn e.V.
D. Bonhoeffer-Kirche
An der Decksteiner Mühle 1, 50935 Köln
Gottesdienst an jedem Sonntag um 14:00 Uhr (für Kinder um 13:30)
Pfarrerin: SASAKI Ryoko
(Webpage)           http://koelnbonn.jp
(Gemeinde-Email) japevgemkoelnbonn@gmail.com
(Monatl. Newsletter, jap.) koelnbonn.geppo@gmail.com

 

Japanische Evangelische Gemeinde Berlin
Paul-Gerhard-Kirche Alt-Schöneberg
Hauptstrasse 47
10827 Berlin
Pfarrerin: AKIBA Mutsuko

 

Japanische Evangelische Gemeinde Frankfurt a.M.
Dorfkirche Alt-Hausen
Alt-Hausen 2
60488 Frankfurt am Main

SUZUKI Koichi †, Bad Soden
Pfarrer: P. Schneiss, Heidelberg
Diese Gemeinde hat sich 2017 aufgelöst, weil alle Gemeindeglieder verzogen sind.


 

Japanische Evangelische Gemeinde Stuttgart
Evang. Gemeinde Sommerrain
Mimosenweg 22
70374 Stuttgart
Pfarrer: ???

 

 


Pfarrer OGURI Ken
Köln/Bonn


Ehepaar Fujii